2020年10月3日土曜日

10.05 伝説のコンサート

  今夜のNHKBS1は「1980.10.05 山口百恵伝説の引退コンサート」。

 同学年の百恵とは長い付き合いですね。1976年4月、K應G塾高等学校軟式野球部に入部して練習初日、センターを守っていると1年先輩がつかつかとやってきて、

「よぉ、ところでお前は山口百恵と桜田淳子とどっちが好きなんだ」、「ハイ、山口百恵です。」、「そうか、案外お前もスケベだな。」

 これがその後永遠のライバルと呼ばれることとなる先輩と初めて交わした会話でした。ここに百恵の「真実」が隠されています。1976年4月の段階で、我々同世代の間では「山口百恵=スケベ」、「桜田淳子=清純・健康的」の共通認識が確立していたことをこの「会話」が証明しているのです。

 世間一般では、1976年6月にリリースされた「ひと夏の経験」の一節「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」が百恵のイメージを決定付けたと言われています。ところがぎっちょん、1976年4月の段階で我々同世代の間では「山口百恵=スケベ」が確立していたことを上記会話が「立証」しているのです。

 百恵のデビュー曲「としごろ」は全く売れませんでした。当ブログも、初めて百恵を見た時の感想は「なんじゃい、このチンコロねえちゃん!」程度のものであったことをよく覚えています。デビュー戦略に失敗したホリプロは起死回生の一発として「青い果実」を選択し、「あ~なたぁ~が望むなら~私い~何を~されてもいいわぁ~~」とやっちゃいました。

 これは「衝撃」でしたね。「青い果実」がリリースされたのは1973年9月のこと、中学3年の百恵はデビュー戦略に失敗して失うものもなく起死回生の一発を狙っていた頃、中学3年の当ブログは「偏差値76」を目指して受験勉強に本腰を入れ始めていた頃、進むべき道は180度違いましたが、同年代を駆け抜けていました。

 現在では後付けで「青い果実」から「青い性路線」が始まったなどと何も知らない似非評論家どもが解説していますが、世間一般が「山口百恵=スケベ」を認識したのは「ひと夏の経験」からであって、「青い果実」一発で「山口百恵=スケベ」を認識したのは同年代の我々だけだったのです。

 「後付け」なんて競馬の「結果論」と同じで何とでも言える。百恵の「真実」を知るのは、同年代を駆け抜けた者だけが持つ「特権」です。

 百恵が初めて出演した映画「としごろ」はデビュー曲と同タイトルなので百恵が主演と勘違いしている素人さんが数多く存在しますが、映画「としごろ」の実質的主演は和田アキ子であって、百恵は端役でした。機織りしている森昌子のシーンに石川さゆりが犯されるシーンが被されるというハチャメチャな「迷作」です。当時はこんな映画もテレビで放映されていました。