このレースの3連複を1点で取れなかった競馬評論家は、さっさと頭を丸めて故郷に帰るべきですね。
このレースの3連複を1点で取れなかった競馬評論家は、「競馬人」としての「品格」を欠如していることを「証明」しました。したがって、さっさと頭を丸めて故郷に帰るべきです。
By ルーミンのたてがみ
このレースの3連複を1点で取れなかった競馬評論家は、さっさと頭を丸めて故郷に帰るべきですね。
このレースの3連複を1点で取れなかった競馬評論家は、「競馬人」としての「品格」を欠如していることを「証明」しました。したがって、さっさと頭を丸めて故郷に帰るべきです。
By ルーミンのたてがみ
「世紀の一戦」という「表現」は、1対1の対決となるボクシングで使われることが多く、近年では「メイウェザーvsパッキャオ」戦が有名です。
1971年3月8日に行われたアリとフレージャーとの無敗同士の初対決も「世紀の一戦」に相応しい激闘でした。当時小学校6年生の当ブログは、夕方に中継があることを知っていたので「早く帰らなきゃ」ということで学校から走って帰りました。フレージャーの左のロングフックでアリがマットに倒れた瞬間もリアルタイムで見ていましたよ。まぁ、今となれば時間的に「録画中継」であったとは思いますが。
そのアリが絶対不利と言われたフォアマンを倒した「キンシャサの軌跡」(馬のキンシャサノキセキではありませんので念のため(笑))もリアルタイムで見ましたね。これも「世紀の一戦」。
国内では1967年12月14日の小林と沼田との対戦も「世紀の一戦」でした。「雑草」が「精密機械」を倒した瞬間もリアルタイムで見ていました。
高校野球では1974年夏の甲子園を制した銚子商業と1975年夏の甲子園を制した習志野が激突した1976年千葉県夏の予選準決勝が有名です。千葉県高校野球の聖地「天台球場」が「満員札止め」となる異様な雰囲気の中で行われたこの試合は千葉県高校野球史に残る名勝負となり、斉藤一之監督の息子俊之のサヨナラホームランで銚子商業が前年の雪辱を果たしたのです。甲子園で優勝するより千葉県代表になる方が難しいと言われた時代でした。
さて、前置きが長くなりましたが、競馬界における「世紀の一戦」は1977年有馬記念のテンポイントとトウショウボーイとの激闘が有名です。この日は中山競馬場で見ていたと思うのですが定かではありません。見に行っていたならばテンポイントとトウショウボーイの単勝馬券が手元に残っているはずなのですが、無いということは中山には行かなかったのかもしれません。まぁ、リアルタイムで見たことは確かですが。
そして、本日、二度目の「世紀の一戦」が行われました。両方ともリアルタイムで見たので、本日のタイトルは「世紀の二戦」(笑)。
ところで、土曜京都6レースでデビューするダンカーク産駒シゲルホンブチョウの母はラブアンドピース。とうことで、1972年札幌オリンピックにおけるジャネット・リンをお届けします。
尻もちをついたジャネット・リンに芸術点で「6.0」の満点を付けた審査員に「あっぱれ!」(笑)。
当時中学2年だった当ブログのクラスでは、銅メダルの「ジャネット・リン派」と銀メダルの「カレン・マグネッセン派」に分かれて大激論が交わされました。金メダルの「シューバ派」は皆無でしたね(笑)。
当ブログは「ジャネット・リン派」の急先鋒として暗躍しました。そのジャネット・リンが選手村の壁に落書きしたのが「Peace & Love」。
https://www.youtube.com/watch?v=t0HbRQk0oFs
さて、日曜京都5レースでデビューするミッキーアイル産駒はアナゴサン。ということで、「サザエさん」をお届けします。
https://www.youtube.com/watch?v=kyC_RTYoz18&list=PLdfR-3U1ZJbS1NAD7fI645m03OUfVAAYu&index=16&t=0s