2017年1月2日月曜日

栄光の名馬たち


 本日午後6時~7時にグリーンチャンネルで放映されている「栄光の名馬たち」は「サクラローレル」です。

 1994年11月20日の「比良山特別 」(京都芝2200m、900万下)もスタートからゴールまで放映されました。サクラローレルが1番人気に応えて快勝したこのレースで、3番人気に推されて4着と頑張ったのが「パーフェクトゲーム」でした。


 当ブログがパーフェクトゲームに出資した理由にはちょっと複雑な経緯があります。


 時あたかもバブル全盛期、1990年の社台の募集に応募したのが「カリカチューラの89」でした。余裕資金は腐るほどあったので、父ノーザンテースト、BMSミスタープロスペクターという同年募集の牝馬で最高価格の超良血馬に出資しました。一口175万で当時は20口だったので総額3,500万円となります。


 ミスタープロスペクターがリーディングサイヤーになったのは1987年のことですが、この馬は世界の競馬史を変えると確信していましたので、この血統に賭けたのです。


 ところがぎっちょん、「カリカチューラの89」は気管器系の故障のため競走馬にはなれないことになりました。当時はまだ金商法施行前なのでデビュー前に競走能力がないことが判明した場合は全額翌年の募集馬に充当することができました。今なら「損失補てん」に該当しますのでお縄です。


 ということで、翌1991年の募集馬からは175万円以上のお馬さんを選択しなければならないという異常事態に追い込まれたのです。ならば、最高価格馬に行ってやろ~じゃねぇ~かぁ~となった訳です。そして、同年の最高価格となる一口250万(総額5,000万円)の「ダイナサッシュの90」に出資しました。後の「パーフェクトゲーム」です。サッカーボーイの弟ですよ!


 この物語には後日談があります。何と、「カリカチューラの89」が競走馬として「復活」することとなったのです。社台から連絡が来て、気管器系の故障が回復したので、異例ではありますが昨年応募した会員20名に限って「一口100万円」で再募集されることとなったのです。財形貯蓄をおろして再募集に応募しました。後の「リバイバルダンサー」です。馬名の由来はお分かりですよね(笑)。社台に聞いてみたら、再募集に応募したのは20人のうち10人だけだったとのことでした。


 リバイバルダンサーは3勝して、バブル崩壊後の当ブログ家の家計を支えてくれました。これを当ブログでは、「リバの恩返し」と呼んでいます。


 サッカーボーイの弟パーフェクトゲームはダート1700mと芝2500mを得意とする「超個性派」として競馬ファンに親しまれました。当ブログは「パー助」と呼んでいましたね。パドックでだらだらと汗をかく気性の激しさから去勢されたので、「それゆけパー助、タマなどいらぬ」が応援テーマでした。もちろんテンポイントの菊花賞での杉本アナの名調子「それゆけテンポイント、ムチなどいらぬ」を参考にさせていただいたものです。