2016年7月9日土曜日

Damascusの血


 メイショウオペラ号の訃報が伝わっています。

 現在に至るまで地方所属唯一の中央G1馬であることで知られています。注目に値するのがBMSタクラマカンでしょう。


 タクラマカンは外国産馬のため出走できるレースが限られていましたが、1981年の第1回ジャパンカップに出走しています。ホウヨウボーイ、モンテプリンスこそ出走してきましたが、有力日本馬は外国馬に恐れをなして多くが出走を拒否しました。日本中央競馬界(1987年、「JRA」に改称)もとても日本馬では敵わないということを理解しており、モンテプリンスをメアジードーツと、ホウヨウボーイをペティテートと同枠にして、日米どっちが来ても馬券を取れるように工作しました。「インドのシンザン」オウンオピニオンまでザベリワンと同枠にしてあげるという出血大サービスでしたね(笑)。といういことで、興行的には大失敗に終わりました。


 タクラマカンは翌82年の宝塚記念ではモンテプリンス、カツアールの名勝負に次ぐ3着に入線しました。このレースでタクラマカンは、第1回ジャパンカップ5着(日本馬で最先着)のゴールドスペンサー、第2回ジャパンカップ6着(日本馬でヒカリデユールに次ぐ2番目入線)のカズシゲ、第3回ジャパンカップ2着(日本馬で最先着)のキョウエイプロミスに先着しています。


 そのタクラマカンの父がDamascusでした。メイショウオペラのスピードは、母の父タクラマカンの父であるダマスカスから受け継いだものと言えるのではないでしょうか。