ステイゴールド号が急死しました。
今のところ死因は不明とのことですが、種付け頭数が多過ぎることが原因でしょう。社台批判は御法度の世の中ですからスポーツ紙が書くことはありませんが、1982年から社台で一口馬主を続けている当ブログが敢えて書かせていただきましょう。取材拒否を恐れる臆病者には書けません(笑)。
1995年の社台ダイナースサラブレッドクラブから募集された一頭の仔馬に注目しました。サッカーボーイの弟・パーフェクトゲームは筆者の出資馬でした。パーフェクトゲームの母は当然サッカーボーイと同じダイナサッシュになります。そのダイナサッシュの牝駒ゴールデンサッシュを母に持つ「ゴールデンサッシュの94」が社台ダイナースサラブレッドクラブから募集されたのが1995年のことです。
3月24日生まれの割には小ぶりな馬体で、サンデーサイレンスの初期でしたので募集価格は95万円と手頃でした。当時の社台の募集馬は20口と40口に分かれており、「ゴールデンサッシュの94」は40口でしたから募集総額は3,800万円となります。今から考えれば破格の安値だった訳です。
かつてサッカーボーイの弟パーフェクトゲームを持っていたように好きな血統であり、サンデーの牡駒としては割安と判断してドラフト1位指名しましたがハズレました。したがって、1996年12月1日のデビュー戦から注目していました。出遅れて後方を進んだ「ゴールデンサッシュの94」は大外から猛然と追い込んできましたが3着に敗れました。
当初は勝ったり負けたりが続いていましたがいつしかシルバーコレクターとなり、最後はG1にも勝利、種牡馬としても最初は人気がなかったが最後は人気種牡馬になったのも競走人生と同様の旅程でした。
「ゴールデンサッシュの94」が「ステイゴールド」と名付けられ、「黄金旅程」と呼ばれて親しまれたことは余りにも有名ですからここでは触れません。筆者にとっては、1995年の募集パンフレットを見て、「これだ!」と直感したあの頃が一番の思い出です。
*1995年に社台ダイナースサラブレッドクラブから募集された「ゴールデンサッシュの94」。肖像権が社台グループに帰属する可能性がありますので問題があるようでしたら削除させていただきます。
*筆者が一位指名した物的証拠。トニービンが上になっているように、当時のサンデーの評価はトニービンより下だったのです。