小島太厩舎のディサイファは6着。小島太師の引退レースを飾ることはできませんでした。
小島太とは長い付き合いでしたね。当ブログが日本競馬史上一番好きだったサクラショウリの主戦ジョッキーが小島太騎手でした。
筆者が大学時代に使っていたミズノのグローブは昭和53年ダービーの当り馬券で買った物です。
昭和54年2月18日、例年東京競馬場で行われる目黒記念(春)は中山競馬場で開催されました。野球部は春合宿の前で自主トレ中のシーズンオフだったので中山競馬場に行き、電車賃まで全てサクラショウリに注ぎ込む大勝負を張りました。負けたら市川市国分の自宅まで歩いて帰る覚悟で臨んだのです。
60キロのハンデが嫌われて人気が無かったサクラショウリが快勝して大勝利!興奮しまくり当り馬券は換金せずに「歩いて帰る!」と絶叫して、市川市国分の自宅まで歩いて帰りました。全く疲れは感じませんでしたね(笑)。
人気騎手だった小島太騎手のジョッキーとしての引退レースは結構話題になり、最後の騎乗馬となった1996年2月25日、中山牝馬ステークスのサクラキャンドルは異常人気になりました。こういう人気馬は当ブログは買いません。実は、その前日の土曜日に小島太騎乗の馬で大勝負して1着。真の引退レースは土曜日のこのレースでした。素人が引退騒動で騒ぐレースなど、当ブログには興味はありません。
さらば小島太!!!🏇
*昭和54年、5歳時(当時、現・4歳)の有馬記念パドックで撮影したサクラショウリと小島太騎手の勇姿🏇