中京4レースを快勝したベストクィーンの祖母はアトラクト。ということでノーザンコンダクトの姪になります。
「アトラクトの89」は1990年に社台ダイナースサラブレッドクラブから一口250万(総額5,000万円:当時は20口時代でした)で募集されました。
1991年にラジオたんぱ杯3歳ステークス(現ホープフルステークス)を制した当時は世の中が騒然となる程の評判で、誰しもが「ダービーはこの馬!」と絶叫したものです。翌年のスプリングステークスではミホノブルボンを抑えて一番人気になりましたね。
1990年の募集パンフレットで「アトラクトの89」の隣のページに掲載されていたのが当ブログの出資馬「カリカチューラの89」です。喉の疾患のため一度は全額補償の対象となりましたが、一口100万(総額2,000万円)に減額されて元の出資者に対して再募集され、当ブログを含めて10人が応じて「リバイバルダンサー」と名付けられました。まだ金融商品取引法施行以前であり、当時の「補償制度」は「損失補てん」には該当しません。
現2歳のデゼル(アヴニールセルタンの17)も一口200万(総額8,000万円)で募集されましたが飛節上部の脛骨遠位に縦の骨折線が見つかり一度は「契約不成立」となりました。症状が回復したため第1次募集で当選した会員を対象として一口150万(総額6,000万円)に減額されて再募集されましたね。